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zoom RSS 会報記事 『こころ』に見つけた亡き母の思い出 広部康子

<<   作成日時 : 2009/12/18 23:43   >>

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 『こころ』に見つけた亡き母の思い出  広部康子

 偶然というのは不思議なものである。
 「京都漱石の會」から「夏目漱石ゆかりの半藤一利・松岡陽子マックレイン講演会」ポスターの件で、息子の勤める大学事務室に電話があったのは今年三月の中旬であった。私の誕生日には、漱石に関する本をよくプレゼントしてくれる息子に、この思いがけない講演会への聴講を勧められ、躊躇うことなく私は翌日申込みの電話をかけた。
 丹治代表の「お友達を誘って下さいね」との言葉を守り、先輩・友人と四人で聴講させていただくことになった。
 半藤先生、松岡先生の本を繙いているうちに四月十一日は瞬く間に近づき、前日の夜は気持ちが高ぶり、なかなか眠れなかった。
 当日は、晴天で暑い日となったが、写真の通り、松岡先生は、とても若々しくお元気で「比較文学から見た則天去私」についての講演を、次にテレビでもお馴染みの半藤先生が「『坊っちゃん』を読む」と題して話された。翌朝の新聞にその場面が載り、楽しいお話しが思い出された。
 半藤末利子先生の予期せぬざっくばらんなお話も嬉しく、講演後のロビーでは、慌ただしく書籍の購入やサインもして頂いた。友人達は「今日は漱石が身近に感じられてとてもよかった」と話していた。私は最後尾に並び持参した本をそっと差し出すと松岡先生は「古い本を持って来て貰って…」と言って下さった。
 夕食会は新緑の美しい京都御苑の西、京都ガーデンパレスの宴会場だった。彩りも床しい京料理を頂き乍ら、丹治代表の進行で漱石ゆかりの方々が壇上に立たれ、和やかな雰囲気のうちに時間は流れた。また、『虞美人草』の流麗な朗読を聴く時、私はその一員になれたことをつくづく幸せに思った。

 昔――こんなことがあった。
 私が最初に『こころ』を読んだのは高校生の頃で、小さな御縁を発見したのは、十年ばかり経って二度目に読んだ時のことである。
 この発見が偉大なる文豪漱石と私との距離を縮め、私は敬慕の念を抱いて、新宿区喜久井町の生誕地を訪れたり、雑司ケ谷の墓地へお参りしたりした。
 『こころ』の「先生と私」(二十)の文中、語り手の学生が先生の奥さんに着物の仕立を頼んだときの奥さんの言葉は、こうである。
 「こりや手織ね。こんな地の好い着物は今まで縫ったことがないわ。其代り縫ひ悪いのよそりあ。丸で針が立たないんですもの。御蔭で針を二本折りましたわ」
 漱石は着物の仕立などわかろう筈もないと思うのだが、お裁縫が堪能であった鏡子夫人から聞いたことでもあったのだろうか。
 さて、一九六四年九月十三日、二十五歳の私は朝日新聞の朝日歌壇に前川佐美雄選で、「針折れしかたき絣と亡き母の言葉偲びて大文字に着る」を載せてもらっている。選者の評にも「この絣は手織でもあろうか、縫うのに針が折れたほどだというのである。いかにも京の人らしい歌で、また折り目も正しく思われる。(中略)」とある通り、手織の地の好い浴衣であった。
 再読して見つけた手織と針の部分は、たとえ漱石ファンが星の数程いるとしても、世界中で私だけの小さな御縁であるように思え、一生忘れ得ぬ大きな喜びとなった。そしてこれが漱石への道の始まりとなり、何十年も経て今回の「京都漱石の會」へと辿り着くのである。
 因みに漱石の七十二年あとに生まれた私は、漱石と同じ卯年の同じ誕生日である。
 二十歳の夏、私に手織の絣を縫ってくれた母は、大文字の日から一週間ばかりで急逝した。今年は五十年目に当たる。

   (宇治市在住)

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虞美人草 「京都漱石の會」会報 《第4号》 p.26 から転載



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