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zoom RSS 会報記事 漱石のロンドン留学、私のエジンバラ留学 杉野ゆりか

<<   作成日時 : 2009/12/18 22:46   >>

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  漱石のロンドン留学、私のエジンバラ留学
    杉野ゆりか

 京都漱石の會代表の丹治様とは、ミクシィの裏千家コミュニティを通じて、「出会い」ました。わざわざ留学先に京都漱石の會の会報を送って下さり、楽しく読ませてもらっておりました。私のような一学生が、このような立派な会報へ執筆させて頂けるなんて、恐ろしく光栄だと感じつつ、励まして下さるお言葉に甘えて、夏目漱石ともゆかりのあるイギリスにての留学生活について、少しご紹介させて頂きます。
 私が留学したスコットランドのエジンバラは、漱石が滞在していたイングランドのロンドンと同じ「イギリス(ブリテン)」にあるものの、完全なる異空間でした。ロンドンから電車で北上していくと、滑らかで人工的な雰囲気を漂わす平野から、次第に人間のちっぽけさを感じさせるような荒々しい山々が目につきます。一般的には、バグパイプ、ショートブレッド、タータンなどで知られ、漱石と同時代を生きた『宝島』、『ジキル博士とハイド氏』を著した小説家ロバート・ルイス・スティーブンソンを輩出しています。一七〇七年にイギリスの一部として併合されるまでは独立国であり、現在も尚、人々は自ら「スコットランド人」だと称します。私自身、渡英直後の新入生歓迎期間中に、初めてスコットランド特有の踊りであるケイリーを楽しませてもらいました。スーパーでキルトを身にまとった親子を見掛けることは、日常茶飯事でした。詩人ロバート・バーンズの生誕を祝うバーンズ・ナイトという行事まであり(今年は生誕二五〇周年)、文化・伝統を重んじる風習が色濃く残っています。独自の議会、法律、教育制度、紙幣を持っており、政治学を専攻している私としては、実に興味深い場所でありました。

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Arthur's Seatという旧火山から見たエジンバラ

 漱石自身も、スコットランドとは様々な縁があったようです。「『エヂンバラ』は景色が善い、詩趣に富んで居る、安くも居られるだろう」と、当初はエジンバラへの留学も検討したそうですが……。「ここに一の不都合ある。『エヂンバラ』辺の英語は大変ちがう。先ず日本の仙台弁の様なものである。切角英語を学びに来て仙台の『百ズー三』抔を覚えたって仕方ない」(一九〇一年二月九日付、狩野他三名宛て書簡)と述べています(私は、このズーズー弁と一年にわたり付き合うこととなってしまいました)。また、漱石が留学中に旅行したのは、親日家イングランド人・ディクソンの招きで訪れた、このスコットランドのピトロクリという小さな町だったそうです。当時、人口約五〇〇万人を抱える世界一巨大な大都市ロンドンで過ごしてきた漱石にとって、この久々に見た壮大な自然は、さぞかし感動と力を与えたことでしょう。『永日小品』「昔」でのピトロクリについての描写は、訪問から六年余りも経ってから書いたのにも拘わらず、その鮮明な表現力から、いかにこの風景が強く漱石の脳裡に焼きついたかが伺えます。

 ピトロクリの谷は秋の真下にある。十月の日が、眼に入る野と林を暖かい色に染めた中に、人は寝たり起きたりしている。十月の日は静かな谷の空気を空の半途で包んで、じかには地にも落ちて来ぬ。と云って、山向へ逃げても行かぬ。風のない村の上に、いつでも落附いて、凝と動かずに靄んでいる。其の間に野と林の色が次第に変って来る。酸ものがいつの間にか甘くなる様に、谷全体に時代が附く。ピトロクリの谷は、此の時百年の昔し、二百年の昔にかえって、安々と寂びて仕舞う。人は世に熟れた顔を揃えて、 山の背を渡る雲を見る。其の雲は或時は白くなり、或時は灰色になる。折々は薄い底から山の地を透かせて見せる。いつ見ても古い雲の心地がする。

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Pitlochry

 そんな漱石の留学生活は、自身も『私の個人主義』で触れていますが、悶々としたものだったようです。国家から派遣された留学生として、外国人たった一人での異国生活。日本のような繊細な食文化はなく、愛する家族も傍にいない……その寂しさは、計り知れません。この留学が、漱石の生き方や小説に大きな影響を与えたことは明らかです。留学前から「何方の方角を眺めてもぼんやり」しており、「あたかも嚢の中に詰められて出る事の出来ない人のような気持」を抱えていた漱石。そんな漱石にとってのロンドン生活前半は、「何のために書物を読むのか自分でもその意味が解らなくなって」、出口が見つからないものだったといいます。しかし、留学後半に、「始めて文学とはどんなものであるか、その概念を根本的に作り上げる外に、私を救う途はない」という悟りを経験したそうです。そして「今までは全く他人本位で、根のない萍のように、そこいらをでたらめに漂っていた」という漱石は、「自己本位」というものを確立していきます。私個人としては、この過程において、帰国直前のスコットランド紀行が何かしらの影響があったのではと気になっております。

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St.Andrew's Dayのバグパイプパレード

 私の場合は、大学から派遣された交換留学で、時代もインターネットなどがあり、母国とはそれほど距離感がありませんでした。漱石の留学と比較するのは恐れ多いのですが、それでも少しばかり似た心境を体験した気がいたします。凄まじい風に吹き飛ばされながら、傘も差せずに土砂降りの雨の中で登校する日々。冬は、陽が午後三時台に沈み、朝九時過ぎになって次第に明るくなっていくという具合でした。ですから、勉強に打ち込もうとしても、自然と気分が落ち込みそうになることが度々ありました。大学の授業では、講義のみならず、議論の時間が必ず設けてあり、毎回活発な意見交換がなされます。イギリスでの大学全体に言えることだそうですが、講義内容は導入部分にすぎず、基本的に学問内容を深めていくのは学生に委ねられています。日本とは異なる勉強法に戸惑ってしまい、いかに自分がそれまで他人本位であったかということに気付かされました。幼い頃から自ら追求する姿勢を重んじる教育を受けている外国の学生たちは、日頃から積極的にデモに参加したり、学費をガザ地区支援にまわすようにと大学の建物を占拠して抗議したり、学外活動にもかなり力を入れていました。「ブリティッシュ」と呼ばれただけで、「僕はスコッティッシュだ!」と真顔で反論している同級生もいました。そんな環境で生活しながら、じわじわと「自己本位」の精神を体験していったような気がいたします。イギリス流勉強法にも慣れ、日中韓の留学生たちが中心になって、現地の人々に母国やアジアを紹介する数々のイベント(日本領事館総領事による講演、本屋でのディベート大会、模擬国連等)を主催するなど、後半は現地の人々に臆せず、自分の意見を伝えていけたように感じます。
 一〇〇年以上前に同じ地に留学した夏目漱石の経験や文章は、世界情勢が凄まじい勢いで変化し続ける現在においても、決して色褪せることなく、私のような若者を確かに勇気づけています。これからも、漱石から学びながら、世に役立つ人間になりたいと願います。

(エジンバラ大学交換留学、同志社大学法学部政治学科在学)



虞美人草 「京都漱石の會」会報 《第4号》 p.22-23 から転載



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