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zoom RSS 会報記事 漱石から一草亭にいただいた書画 西川弥子

<<   作成日時 : 2009/12/09 15:52   >>

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 漱石から一草亭にいただいた書画  西川弥子

 平成二〇年四月、夏目漱石京都の会が御所近くの町家にて催されました。当家は、去風流と言う生け花を教えておりまして、漱石との接点は、七世家元西川一草亭の頃に遡ります。去風流は江戸時代元禄の頃、流祖去風により始められ、簡素で自然な花形は代々の家元に受け継がれ、現在、十世家元西川一橙に至っております。明治四〇年、一草亭は弟である画家津田青楓を介して漱石に対面しました。
 その後、漱石は、たびたび京都を訪れておりますが、京都滞在の折には一草亭と青楓の兄弟が、その世話を引き受けました。以後、漱石と一草亭は頻繁に手紙を取り交わす等、交流を深めていきました。一草亭は自ら「風流人」と名のる程、日本の文化に造詣が深くその点でも漱石の興味を引いたのかも知れません。人の人生には、何度か転機が訪れますが、一草亭にとって漱石との出会いは、正しく、その転機であったように思われます。一草亭に漱石から送られた書や画が数点、現在も当家に保存されておりますが、近頃、そのような文化財的資料の管理も、なかなか難しくなり、基本的には、門外不出と決められております。今回は主催される方々の熱意を受け当方所有の漱石直筆の掛軸を二幅、漱石会の皆様に、お見せする事に致しました。当日、思い掛けず来客があり、お約束の時間に少々、遅れてしまいましたが会場は、漱石愛好の方々の討論が繰り返され熱気に満ちておりました。持参した掛軸の一幅は、「牡丹剪って一草亭を待つ日哉」で、一草亭はこの軸について次のような感想を「風流生活」の中で述べております。
 この句を題して、一輪の赤い牡丹の畫を描いた畫賛は私にとって一番思ひ出の多い幅である。その時先生は木屋町の大嘉に宿をとってゐられた。硝子越しに見える川端の柳が黄色く萌えたってゐたから、三月頃だったと思ふ。
 もう一幅の「一草亭中人」と言う軸についても「風流生活」に、その思いを書いております。漱石の十三回忌に三越で「漱石の畫と花の会」を催した折の事と思われます。
 初めての室に懸けた軸は「一草亭中人」といふ五字額を横軸に仕立直した物である。此額を貰ったのは何年頃だか記憶しないが、津田が小石川に家を構えた時分、文展を見に出京して、津田と二人で先生を早稲田南町のお宅に訪問した事がある。其時先生は絖に書いた二枚の畫を見せられたのが、この「一草亭中人」と言う額であった。一草亭中人のはあなたが貰へば丁度よいと云ったら、夏目さんは「うむそうだなあ、併しそれは頼まれて人の絹に書いたのだから、僕からあげる譯にいかない。先方に話して承諾させればよいだらう」といふ事であった。津田が誰のですときき返すと、それは小宮豊隆君のであった。それで津田から交渉して貰ったか、私自身小宮さんに依頼したかどうかして兎に角、私の有に歸した。私は最初それを額に仕立てて座敷に懸けてゐたが、表具の裂地の取合せが悪かった為めか、字が一向引立たないので、最近それを横幅に仕立直したのである。長く座敷に懸けた為めに煤けて黒くなってゐる。
 以上、今回、持参した二幅の掛軸について、出来るだけ詳しく調べ、その由来を書き綴ってまいりました。しかし、知識も豊富でなく文才も持ち得ない私の拙文では、なかなか、解りづらい事と存じますが、皆様の研究の、ご参考になれば幸いでございます。
 今後の皆々様のご活躍をお祈り申し上げます。

  (去風流十世家元西川一橙内)
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「牡丹」
漱石自賛掛軸

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「一草亭中人」五字額





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一草亭好 竹花入れ 花は けまん草



虞美人草 「京都漱石の會」会報 《第2号》 p.9 から転載



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