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zoom RSS 会報記事 比叡山へ  今井 肇

<<   作成日時 : 2009/12/15 00:29   >>

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 比叡山へ  今井 肇

 いまから二十年くらい前、京都に三年程暮らしたことがある。場所は高野というところで、北大路通りと東大路通りの交差したところのマンションだった。
 京都の人に「高野に住んでいる」と話したら「田舎やな」と言われてしまった。が、比叡山の見えるところで、気に入っていた。朝な夕なに見える比叡山はその時々で表情を変え、東京で暮らしていたものには圧倒的な存在感だった。
 その頃は日本文学関係の某出版社に勤めており、関西に支社を作るということで転任したのだが、仕事は別として、それはそれは楽しい三年間であった。その頃は歩くのが好きで京都中をくまなく歩きまわった。早朝の散歩は住んでいたマンションを起点に、北に歩いて曼殊院、西に行けば疎水沿いに植物園、あるいは下鴨神社、南は真如堂、西に行けば詩仙堂というぐあいだ。ある時などそのまま、中山峠を越えて琵琶湖まで歩いたこともあった。四季折々、花を追って、紅葉を愛でて、いくつものコースを歩いた。
 そのうち、ただ歩くだけでなく文学的背景のあるコースを辿る楽しみを見つけた。私は夏目漱石のファンである。好きが高じてその後、『漱石研究』という雑誌も出したほどである。
 夏目漱石の『虞美人草』の冒頭に宗近君と甲野君が比叡山に登る場面がある。その道をたどることにした。
      *
 夏の早朝、家を出て、『虞美人草』のとおりに山端の平八茶屋を起点に歩きはじめた。
 最初は『虞美人草』の文章を思い浮かべながら、軽い足取りで順調のように思えた。だが、一時間くらい歩いたところで、だんだん細い道になってきてしまった。そもそもこのルートは今は比叡山に登る道の中ではあまりメジャーではない。どうも頂上に行く道から外れてしまったようだ。
 文中で宗近君が、
  「だから見えてるから、好いぢやないか。余計な事を云はずに歩いて居れば自然と山の上へ出るさ」
とある。大原女ともすれ違っている。
  「あれが大原女なんだらう」
と甲野君が言うのに対して、
  「なに八瀬女だ」
と宗近君。結局は、
  「あんな女を総称して大原女と云ふんだろうぢやないか」
  「さうする方が詩的でいゝ。」「なんとなく雅でいゝ。」
と呑気に会話を楽しんでいる。 漱石の時代は大原女も通っていたくらいの道だったようなのである。 
 心細くなるような細い道、どうも上にも向かってないようである。横高山とか水井山との裾野をさ迷い、ついには途方にくれた。
 そうこうするうちに自動車の走る音が聞こえたのでその音のする方に歩いていった。ところがきりたった崖である。車の道にとうてい辿りつけない。車の道へ近づこうと、崖の下を右往左往しているうちに、一本の杉が 崖すれすれに伸びているのを見つけた。この木に登るしかない。子供の頃に木登りもして遊んだ。それが役立って、その杉をよじ登り、ようやく崖の上に飛び移った。いまから考えても、よく飛び移れたものだと感心する。
 近くに「横川まで○キロ」 という道標が立っているのを見つけ、ようやくホッとした。手も足も傷だらけだった。『虞美人草』の道からは外れてしまったが、横川まで行くことにした。
 そして、横川から東塔に戻る道すがら大きな杉の下を通った。行者ヶ杉だろうか。行者ヶ杉は住んでいたマンションのそばを流れる高野川の橋の上からも良く見えた。比叡山の山裾に一本だけすくっと伸びている、遠目からでも確認できるくらいの杉である。
 『虞美人草』にも甲野君が頂上にやっと到着するところに杉が出てくる

 草山を登り詰めて、雑木の間を四、五段 上ると、急に肩から暗くなって、踏む靴の底が、湿っぽく思われる。路は山の背を、西から東に渡して、忽ちのうちに草を失するとすぐ森に移ったのである。近江の空を深く色どる此の森の、動かねば、その上の幹と、その上の枝が、幾重幾里に連なりて、昔しながらの翠りを年毎に黒く畳むと見える。二百の谷々を埋め、三百の神輿を埋め、三千の悪僧を埋めて、猶余りある葉裏に、三藐三菩提の仏達を埋め尽くして、森々と半空に聳ゆるは、伝教大師以来の杉である。甲野さんはただ一人この杉の下を通る。
 右よりし左よりして、行く人を両手に遮る杉の根は、土を穿ち石を裂いて深く地盤に食ひ入るのみか、余る力に、跳ね返して暗き道を、二寸の高さに段々と横切って居る。登らんとする岩の梯子に、自然の枕木を敷いて、踏み心地よき幾級の階を、山霊の賜と甲野さんは息を切らして上つて行く。(略)
 「此所だ、此所だ」
 と宗近君が急に頭の上で天狗の様な声をだす。

そして甲野君に、

 「又、反吐か、反吐を吐く前に、一寸あの景色を見なさい。あれを見ると折角の反吐も残念ながら収まつちまふ」
と例の桜の杖で、杉の間を指す。

 琵琶湖が光っているのである。印象的な場面である。左右に琵琶湖を抱き、京の街を包む比叡山が私は好きだ。
 甲野君や宗近君とは違い、頂上よりもずっとずっと下の、まだ麓に近いところで、杉と難業苦行した私であったが、今にして回想しても、思い出深い比叡への道であった。
      *
 その後東京に戻り、某出版社を辞め、結局は独立して出版社を興したのであるが、京都での気儘さが忘れられなかったのかも知れない。贔屓にしてくれる著者や読者に支えられ、どうにか十八年続けている。
 しかし、今から七年前、朝の散歩中に脳梗塞を発症し、いまはその後遺症で歩くのもままならない状態である。電車に乗って通勤するまでに回復はしたが、杖が離せず、二キロくらい歩くのがやっとである。京都からの日課が続き、散歩が趣味となっていた身には辛いことだが、日々のリハビリを続け、そのうち比叡山でも登れる日もくるだろうと、暢気に希望だけは捨てずにいる。今は旅人となり、新幹線で逢坂山のトンネルを抜け、右手に比叡山が見えると、なぜか帰ってきたという思いにかられるから不思議だ。京都の三年間が心の滋養となっていることは確かである。

   (翰林書房代表)

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虞美人草 「京都漱石の會」会報 《第3号》 p.9-10 より



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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
旧姓 那須妃呂美です。今は遠藤です。
奥様と桜楓社で同期だった者です。
お体が不自由になっていたとのこと、今は大丈夫ですか?
静江さんは元気ですか?
いつか、出版社へお邪魔させていただきます。
お元気ですか?
2016/05/15 19:22
遠藤さま
お返事が遅くなって申し訳ございません。
翰林書房のご夫妻はお元気で立派な書物を次々に刊行されています。
渋谷区に転居されていますがぜひご訪問頂きますよう!
最近『漱石辞典』を出版されたばかりです。
それではごきげんよう。
わびすけ・丹治伊津子
2017/06/10 21:20

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