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zoom RSS 会報記事 「こゝろ」と死に至る潔癖  丹 麻理子

<<   作成日時 : 2010/04/30 13:31   >>

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 「こゝろ」と死に至る潔癖  丹 麻理子


 「こゝろ」については、広部康子様が先の第四号会報にて作品とお母様と広部様を確かに繋ぐ美しい糸をご紹介くださっています。それを読み感動致しました。
 潔癖である、というのは不潔・不正を極度に嫌うことと辞書に記されていますが、「こゝろ」は潔癖に満ちている作品だと思っています。作品内でも「先生」が「ほんとうをいうと、私は精神的に癇症なんです。それでしじゅう苦しいんです。考えると実にばかばかしい性分だ」と話していますが、そういった精神の潔癖は作中から絶えず伝わってきます。
 金で甥を裏切った先生の叔父さん、恋で友人を裏切った先生、という分かりやすい「罪」だけではなく、実に様々なことが「罪」として描かれています。田舎くさく遅れて見える父を不愉快に思う「私」は、先生と比べ洗練されていないことを悪いことのように感じ、またそのように思う自分自 身にも軽く失望しているような表現が後にあります。「先生」を理解しきれない「妻」は他ならぬ自己に罪を探していますし、鍵となる友人「K」も「精神的に向上心のないものはばかだ」という言葉に大きく揺さぶられ、後の自害は自分の信条を裏切ったことを罪と感じていることが一端だと考えられる構成となっています。
 人が何を以って「罪」とするか、そしてその罪を強く許せないと感じること、潔癖に「完璧」「完全」を求めて傷ついていく悲しさをこの作品に私は強く感じます。自身に向かってその「潔癖」を伸ばして自殺するKと先生。その世界には潔癖でないことを許す優しさや曖昧さといった退路はありません。だからこそ、裏切りを犯し 、汚れた自己を消してしまう二人の最後は、作品に漂う死に至る癇症の悲哀だけでなく、孤高な美しさも加えられた「精神的な潔癖」の集大成だと思うのです。
 人間の利己主義を描くこの作品が、角度を変えれば真っ直ぐで濁りなき自己への潔癖で出来ている。私はその万華鏡のように角度によって姿を変える、そんな人物像を浮かび上がらせる文章構成に、漱石文学の偉大さを感じずにはいられないのです。
 東京の二月。芯から冷えそうな風の中、高熱と痛みで通院が始まりました。身体の一部に炎症が見つかったのです。心細い通院が始まり、そんな私の傍らにはいつも一冊の本がありました。それが「こゝろ」です。その読書は、病気が分かり、不安を抱えた私に思いきって記事を書くことを勧めてくだった丹治会長がくださった配慮 でした。
 通院するたび読み進めて、心に響く箇所に色とりどりの付箋を貼りました。読了後の今も、その言葉の語りかける意味を繰り返し繰り返し考える時間が私の心を健やかに清めてくれます。語り手である「私」の両親の語る言葉が愛情のように、先生の語りが隣で響くように、そして時 に目線を同一にしてきた「私」がまるで友達のように息づいてきます。
 そして今、書き終えた私に丹治会長がかけてくださった「闘病も大切な行い」という言葉と 共に、これからも文学を噛み締めて行ければと願っております。



虞美人草 「京都漱石の會」会報 《第5号》 p.23-24 より



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