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zoom RSS 漱石句碑の立札が建つまで /  立札の銘文

<<   作成日時 : 2011/12/09 09:46   >>

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漱石句碑の立札が建つまで


御池大橋西詰に建つ漱石の句碑は、昭和42年(1967年)に、夏目漱石生誕100年を記念して「漱石会」によって建立されました。

句碑建立の経緯は 《資料紹介》 昭和42年 「京都句碑の会」記念 をご覧ください。

漱石の句碑は、建立後40余年を経た昨今、緑地の植え込みに埋れるように建ち、京都の人々にとってもつい通り過ごされてきました。

京都漱石の會は、平成20年(2008年)4月、会の発足を記念して名所案内立札(以下「立札」と略記)を建立し、京都市に寄贈致しました。
立札の建立によって、多くの人々の関心と漱石への理解が深まればと期待しています。



ところで、立札が建つまでの貴重な写真が残されていましたのでご紹介します。






立札が建つまで 写真集



画像をクリックすると拡大表示されます。


立札設置工事当日(4月7日)は生憎の小雨。立会者は、丹治京都漱石の會代表と京都市役所の北村部長様他の2名と作家杉田博明氏。


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目録


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漱石句碑の立札の除幕式は4月12日に、第1回定例研究会の中で行われました。


詳細は、京都漱石の會会報『虞美人草』の次の記事をご覧ください。


漱石句碑の銘板を建立 [会報 《創刊記念号》 p.14]

門川大作市長挨拶 [会報 《第2号》 p.4]

天龍寺管長・佐々木容道老師の香語 [会報 《第2号》 p.5]

鴨川を隔てて−漱石と多佳女−  杉田博明 [会報 《第2号》 p.7-8]

漱石句碑の駒札除幕と京都漱石の會の初例会 [会報 《第2号》 p.16-17]


写真(撮影日 2008年4月7日)
 撮影者 丹治伊津子京都漱石の會代表






立札の銘文




平成23年(2011年)10月23日、京都漱石の會第8回定例研究会は漱石句碑立札前が集合地となりました。


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約3年半を過ぎたこの日も、漱石句碑と立札は仲睦ましく寄り添うように建っていました。


秋の川を 隔てず 男女哉

   まさじ

秋の朝 川を隔てず 句碑と札
   まさじ



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立札の銘文は作家・元京都新聞編集委員杉田博明氏の執筆になるものです。


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夏目漱石の句碑

  木屋町に宿をとりて川向の御多佳さんに
春の川を 隔てゝ 男女哉      漱石

 句碑は昭和四十一年(一九六六)十一月、「漱石会」が明治の文豪夏目漱石(一八六七〜一九一六)の生誕百年を記念して、句にゆかりの現地に建てた。
 漱石は、生涯、四度にわたって京都を訪れた。最初は明治二十五年(一八九二)七月、友人で俳人の正岡子規とともに。二度目は明治四十年(一九〇七)春、入社した朝日新聞に『虞美人草』を連載するためで、三度目は二年後の秋、中国東北部への旅の帰路であり、四度目は大正四年(一九一五)春、随筆『硝子戸の中』を書き上げた直後であった。
 このとき、漱石は、画家津田青楓のすすめで木屋町御池の旅館「北大嘉」に宿泊、祇園の「大友」の女将磯田多佳女と交友をもつが、ある日、二人の間に小さな行き違いが起こる。漱石は、木屋町の宿から鴨川をへだてた祇園の多佳女を遠く思いながら発句を送った。句碑にある句である。
 この銘板は、平成十九年(二〇〇七)十月、京都での漱石を顕彰する「京都漱石の會」(代表・丹治伊津子)が発足したのを機に建てた。
       平成二十年(二〇〇八)四月
                京都漱石の會
                京 都 市


Soseki's Stone Monument

Having taken lodging in Kiyamachi, I now long for Taka, who remains on the opposite bank of the river.
We are a man and woman separated by a river in spring. -- Soseki

This stone monument was created in November 1966 to commemorate the 100th birthday of Natsume Soseki (1867-1916), the great literary figure of the Meiji Era.
Soseki visited Kyoto four times in his lifetime. His first visit took place in July 1892 with his friend Masaoka Shiki, a haiku poet. On his second visit in the spring of 1907, Soseki serialized the novel Gubijinso ("The Poppy") in the Asahi Shimbun, his employer at the time. He visited again in autumn two years later on his return from northeastern China. His fourth and final visit took place in the spring of 1915, soon after he had finished his essay Garasudo no Uchi ("Inside My Glass Doors").
On this final visit, Soseki lodged at the Kitanotaiga Hotel in Oike-Kiyamachi, on the recommendation of the painter Tsuda Seifu. At the time, he was pursuing a friendship with Taka Isoda, the madam of Daitomo, a teahouse in the Gion district.
One day, the two had a slight falling out. Soseki wrote a poem while thinking about Taka, who remained in Gion, across the Kamogawa River. This is the poem inscribed on the nearby stone, which is translated above.
This panel was erected to mark the establishment of the Kyoto Soseki Society (represented by Ms. Itsuko Tanji), which commemorates Soseki's visit to Kyoto in October 2007.
        Kyoto Soseki Society
        Kyoto City
             April 2008



写真(撮影日 2011年10月23日)
 撮影者 北山雅治







文 まさじ



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