京都漱石の會第一回定例会のご案内

京都漱石の會のご案内

夏目漱石は京都とゆかり深い文豪であることは皆様よくご承知のことと存じます。学問の繋がりでは京都帝国大学学長の狩野亨吉氏、松本文三郎氏の二人が挙げられますが、明治四十年四月、漱石は京都の銀閣寺北にあった松本文三郎の山房に招かれ、次の様な礼状を送っています。
「京都滞在中は尊来を辱ふせるのみならず銀閣の仙境に俗塵を振るひ落し候」。
 じつは同じ年の三月、朝日新聞社の村山龍平社長は漱石を京都に定住させたいと希望しており、また、先の学友お二方による京都大学への専任の招聘があったに拘わらず、その願いはいずれも漱石が受け容れなかったのでした。
のちに明治四十二年から大正四年と京都を訪れた漱石は長期滞在して病の身を静養。その間、祇園・一力の大石忌に行き感嘆し、四条・襟善では妻の半襟を買い求め、京都人西川一草亭・津田青楓兄弟と共に書画を描いて楽しみました。そして病悪しくなり、祇園・多佳女の親身な看護を受け、「春の川」の一句を贈ったのもこの時です。漱石が切に望んだ「閑適」、その京都の風趣は社寺をはじめ日本画にも及びましたが、庶民の人情に触れたことが一層その想いを深めたのでした。
しかし漱石は、また京都に行きますとの書簡を残したまま、翌年四十九歳の生涯を終えることになります。『虞美人草』『京に着ける夕べ』『門』、これらの作品には京都での日々がいきいきと取り入れられているのはご承知の通りです。漱石が京都の底冷えの寒さに震えながらも内心は京都にいかに惹かれていたかに思いをいたす時、「倫理ある文学」を提唱した文豪夏目漱石を此の地でふたたび顕彰することを皆さまにここにお願い申し上げる次第です。


なお、文中に「ふたたび」とありますのは、昭和四十二年四月九日京都市内にて「京都漱石句碑の会」発起人の皆様のお世話で句碑の除幕式が行われたことによります。(京都滞留の宿屋跡の句碑。京都市御池通東端川畔)  

この句碑が建立されて丁度ことしは四十周年になりますので、先達の貢献をしのび、道路脇のさびれた漱石句碑の前でご供養をさせて頂くことを考えました。有り難いことに漱石が小説の中に書いている処の京都五山、大本山天龍寺。しかも天竜寺僧堂師家・佐々木容道老大師にお願いしましたところ快くお受け頂きました。当日、佐々木老師は雲水をお連れになり句碑の前で読経してくださる由です。ちなみに老師は京都大学大学院哲学科ご出身の碩学のお方。不肖私の夫と同窓のご縁でございます。
勝手ながら京都漱石の會第一回は、明年四月十二日(土)午前十時半から午後四時の日時とさせて頂きました。
 何卒ご理解を賜りますようよろしくお願い申し上げます。

    平成十九年八月吉日


              京都漱石の會
                  丹治 伊津子拝


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